静岡地方裁判所沼津支部 昭和33年(わ)299号 判決 1959年11月12日
被告人 石塚治郎
昭元・一二・二八生 配管工
主文
被告人を無期懲役に処する。
押収に係る、拳銃チヱコ製一九二七年製三二口径第三七一九一一号一挺(昭和三三年領第一四号の一)、弾丸二個(同号の二及び三)、薬莢二個(同号の四及び六)、弾頭二個(同号の五及び七)、銃把の破片一個(同号の八)、拳銃、銃身にDEFENDERの刻印あるもの一挺(同号の九)、弾丸紙箱に入つているもの一個(同号の一〇)、はいずれも米国軍人オーバル・アール・ポーリツトに還付する。
理由
罪となるべき事実
被告人は東京都において、両親の許で生育し、昭和一六年三月高等小学校を卒業して直ちに日本ベークライト工業株式会社に工員として働く傍ら、東京工業技術学校夜間部製図科に通学していたが、その後父と死別し、尚昭和一八年一〇月には志願して海軍に入り各地を転戦して終戦後間もない、昭和二〇年八月二八日埼玉県北葛飾郡豊岡村西関宿の母のもとに復員し、適職もないため東京都及び埼玉県を廻つて闇物資の売買に従事していたが、翌昭和二一年五月頃母の希望を容れ、これをやめて東京都港区麻布今井町配管業岡本保雄のもとで配管工として働くこととなつたが、収入が僅少なため一年位して再度闇物資の売買を始め東京都と北海道間を往復してこれに従事する内、(1)昭和二三年二月二一日(確定)凾館簡易裁判所において窃盗罪により懲役六月三年間執行猶予に処せられ、次に(2)同年六月五日(確定)松戸簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年に処せられ、このため(1)の執行猶予は取消され、千葉刑務所に服役している内逃走し罪を重ねて(3)昭和二四年九月二五日(確定)函館地方裁判所で窃盗、傷害、公務執行妨害、準強盗、強盗、単純逃走の罪により懲役七年に処せられて、網走刑務所において服役する内母を失い、昭和三〇年九月五日仮釈放により同刑務所を出所し(昭和三二年一月二二日この刑期終了す)八王子市に来て大工として昭和三二年八月頃迄働き、東京都に出て前記岡本保雄のもとで昭和三三年五月九日迄配管工をなし、同月一二日頃より東京都港区芝高輪北町共成設備株式会社の事務員として金一八、〇〇〇円位の月収を得て働いていたものであるが、
第一、同年八月一八日頃より右会社を欠勤し、同月二三日渋谷駅附近に遊び午後八時頃になつて帰途についたが、金五〇〇円位の所持金しか残つていないため、格好な場所を求めて金品を窃取しようと企て、井之頭線を経て吉祥寺、武蔵関町より青梅街道附近を徘徊する内同夜一一時過ぎ頃東京都練馬区関町四丁目六三三番地米国軍人オーバル・アール・ポーリツト方に行き、同人方二階において同人所有の(イ)チエコ製一九二七年製第三七一九一一号拳銃一挺(昭和三三年領第一四号の一にして同号の八にその一部)(ロ)銃身にDEFENDERの刻印ある回転式拳銃一挺(同号の九)(ハ)弾丸約二五発(同号の二乃至七及び一〇はその一部)(ニ)写真機一個を窃取したところ、これに気付いた同人方女中渡辺小夜子の連絡により、捜して逮捕するため玄関に出て来た別棟に住む小森準太郎(当時一九才)及びその弟竜次(当時一八才)の両名に発見されたためその逮捕を免れるため右窃取の回転式拳銃を同人等に向けて構え「騒ぐな」と言つて、その反抗を抑圧しつゝ同所を立ち去り、
第二、右犯行後同月二五日迄欠勤し、翌二六日より出勤し同月三一日にはそれ迄の下宿東京都世田ヶ谷区代田二丁目吉川きく方より現住居の大和きく方に変り引続き右会社に出勤していたものの前記犯行の際指紋を残して来たため逮捕される危険があり、その場合は前記前科との関係で長期の刑を覚悟せねばならず、そうでなくても前記前科が会社に知られた場合の打撃を想像して悩み続けて厭世的となり、同年九月七日、八日の両日欠勤し翌九日出勤するため出掛けたものの、右の事情から出勤を止めて引返し、前記第一記載の弾丸五発装填の(イ)の拳銃と日用品を入れたボストンバツク一個を携え同月六日茨城県の叔父杉野仲次郎方に行つて借りて来た金二、〇〇〇円位を所持し、同年四月に配管工としての仕事の関係で出張し一週間位滞在したことのある三島市市街地の郊外竹倉にある温泉旅館白日荘に行くこととし、渋谷より品川に出て東海道線を経て同日正午頃同旅館に到着し、入浴等して過していたが、所持金僅かに五〇〇円位になつたため夕刻外出して金三、〇〇〇円で腕時計一個を入質して宿泊代や小遣に備えた上、同夜は同旅館に宿泊し翌一〇日午前九時過ぎに三島駅に出て時を過し一一時頃になつて同市六反田飲食店羽衣に行つてジンフイズ、ビール、氷等を飲み、近くの映画館に行つて午後六時頃迄過した上再度右羽衣に戻つて氷を飲んだ上午後七時頃になつて同市大中島一七七八番地バー、ブラツクに行きビール一本、ハイボール三杯、ウイスキー四杯、ジンフイズ及びカクテル各一杯を飲み、相手に来た女給長辺トシ子こと和地トシ子にはジンフイズ一杯とカクテル三杯を、女給稲垣花子にはジンフイズとカクテル各一杯を与え、主として右和地を相手に飲み、同夜八時過ぎに飲み終つたところ代金二、七六〇円に達したが、所持金一、八〇〇円位に過ぎないため、内金一、〇〇〇円だけを支払い黒革製定期券入(被告人の身分証明書、写真、通勤証明書各一枚、私鉄発行の定期乗車券二枚その他在中)をバーテン菊地重之に担保として預けて、その諒解を受けたが、右和地トシ子に関心を持つたので暫時被告人と他所でつき合つて呉れれば相当の祝儀と前記残代金を支払つてやるからと仄めかし同女を連れ出して格好な場所に行つて同女を口説いて関係し、機を見て同女から遁れようと企て、右の如く誘引したところ同女が承諾したので近くの三島合同タクシー株式会社に同女と共に行つてタクシーに乗車し当初前記竹倉温泉に行くように運転手に命じ更にこれを変更してその東北方山中にある玉沢温泉に行くよう運転手に命じ、国道東海道より下田街道を経て県道玉沢線に入り車中寄添つて親愛の情を示しながら前記竹倉を通過し一六〇〇メートル位走つた玉沢部落の手前の人家の見えない樹木に覆われた場所に殊更停車させて斯様な淋しい場所で下車するのをためらうトシ子に対して他人の目に触れれば厭な思いがするだろうからここが良いと宥めて同女と下車し、相携えて、その上方にある連れ込み宿として知られた寺院妙法華寺内の玉沢温泉を尋ねて行くようなふりをして、同寺院前を通り過ぎ、それより東方の奥山部落に向い山あいの物寂しい道を七〇〇メートル位登り、同夜十時頃両側は樹木鬱蒼たる山が迫り、人家は勿論通行人の影すら絶えた愈物寂しい暗い場所に差掛つたので和地トシ子(当時二〇才)が、前記自動車内では頻りに温泉宿に行くような言葉を漏しておりながら遂に斯様な物寂しい個所に連込んだことにつき漸く不安を覚えると共に憤りを感じ被告人の不信と違約を責めたてて口論となつた結果極めて激し易い性格の被告人は俄かに激昂し、同女を殺害しようと決意し東京を出てから常に身辺に所持していた前記ボストンバツクから前記拳銃を取出し、即座に同女の頭部目掛けて右拳銃を発射して、同女に頭部盲貫銃創を負わせてその場に倒し間もなく同女を右銃創に基く脳圧迫により同所において死亡させ、
第三、右犯行後逃げて、さまよい歩く内翌一一日午前一時頃同市山中新田三番地大金政一方に行つたところ、渇を覚え且つワイシヤツ等を前記殺人の現場に脱捨てて来たため上半身裸体であるところから、同人方において水を飲んで渇を癒しシヤツ等の外に金品を窃取しようと企て、前記拳銃を携えて直ちに同人方屋内に行つて先づ水を捜したが、見当らないため中央四畳半の室に行き金品を物色していたところ、右部屋に寝ていた同人の五女和子及妻なほに感知されて騒がれたため同人等に対し「騒ぐとピストルで皆殺しだぞ」と言いながら逃げようとして表板の間に出たところ右大金政一(当時六四才)がこの騒ぎに目覚めて起き出し「泥棒」と叫びながら右寝室より右板の間に出て一メートル位に接近して来たので、逮捕を免れるため同人を殺害しようと決意し即座に右拳銃を同人目掛けて発射して、これに命中させ、因つて同人に対し全治迄一ヶ月位を要する左胸部貫通銃創並に肺損傷の傷害を負わせて倒し、直ちにその場より遁れたが、急所をはずれたため同人を殺害するに至らなかつた
ものである。
(証拠の標目)(略)
当事者の主張に対する判断
被告人は自分は判示第二記載の如く和地トシ子を拳銃にて撃つた際酒に酔つておりどうして撃つたか判らぬと主張するが証人小森繁雄の供述記載に依れば被告人が酩酊していなかつたことが明かであるから右主張は採用し得ない。
次に本件公訴事実中判示第二の和地トシ子の殺害は被告人がバアー、ブラツクに対する飲酒残代金千七百六十円の支払を免れるためにしたもので強盗殺人罪を構成すると検察官は主張するのでこれを単なる殺人罪と認定(強盗殺人罪を殺人罪とすることは縮小された事実を認定するので訴因罰条の変更手続を要しない)した当裁判所の見解を以下に開陳する。
第一、和地トシ子が所謂附馬であつたとの点
所謂附馬が飲食遊興費等の未払者に随行しこれを取立てて来る者であるところトシ子が右任務を帯びて被告人に同行したのかは甚だ疑わしいのである。
証人木村寛、同山本章子及び同堀池豊子の各供述記載によるとバアー、ブラツクでは女給の収入は月六千円位の固定給とチツプであり収入面は安定しており客が飲食代金を支払い得ぬ場合にも受持女給が責任を問われ取立に行つたり或は自らこれを負担するとかその他の不利益を受くることがなかつたことが判明するので被告人が判示当夜同店に対し飲酒した代金二千七百六十円中金千円を内入し金千七百六十円を支払わなかつたとしてもトシ子としては自己の収入に格別影響なきは勿論被告人に態々随行し右残代金を徴収して来ねばならぬ必要は毫もなかつたのである。却つて判示九月十日の宵と謂えば残暑夕涼の賑う頃で人出も多く特にトシ子が被告人と共にバアー、ブラツクを出た午後八時十分頃は漸く人出も加わり同店の営業も繁栄しトシ子等女給としては正に書入れの時としてチツプの収入増大を期待し得る際であるからトシ子が斯る採算上有利貴重の稼ぎ時間を抛擲して単に前記残代金の徴収のためにのみ被告人と同行他出することは考えられないのであり同女は他の目的があり残代金を受領し来ることはこれに附随した二次的のものと解するのが相当である。而して岩崎全の司法巡査に対する供述調書及び証人小森繁雄の供述記載によると被告人はトシ子と自動車に乗込んだが前記残代金支払いのため何処かに金員調達に行くような様子は全然なく当初から竹倉温泉迄行つてくれと運転手に命じその後行先を変更して玉沢温泉迄遣つてくれと申し右玉沢温泉の手前でトシ子と共に下車したこと、斯く行先として享楽的な温泉地のみが選択され凡そ金員調達と無関係と思われるのにトシ子がこれを異存なく聞流していたこと、自動車内でトシ子は被告人に親愛の情を示し互に抱擁し接吻したりしたので運転手はアベツクの連込み客と思つたこと、両名が下車した後も道路を歩きながら馴々しく愛人同志の如く振舞つていたことが各認められるのであり更に前記木村寛、小森繁雄の供述記載によればトシ子はバアー、ブラツクの店に対しては被告人の残代金を貰いに行くと申して被告人と他出したこと店としても女給と客と意気投合して外出する場合があるのでこれを放任したこと前記自動車内で被告人が運転手に対し後刻電話を掛けるから迎の車を寄越してくれと依頼したことがそれぞれ窺われるのであるから是に依つて之を観ればトシ子は被告人から残余金幾許もないのに温泉に行こうと誘引されるや被告人がなお懐中に相当額の所持金ありながら態々飲酒代金を内入して残代金支払を口実に自分を連出すものと信じ残代金の受領を理由にこれに随行しその案内する温泉宿に赴き若干時間の奉仕をなし祝儀金を受領すると共に前記残代金をも貰受け同夜中にバー、ブラツクに戻る予定であつたことが推知されるのであり現に被告人も当公廷(第七回公判期日)において自分はトシ子を連れて玉沢温泉の宿に連込みこれと情交を結んだ上同女が入浴中に隙を見て逃出す積りであつたと供述しておるのであり、トシ子が単に飲代残金千七百六十円の徴収と謂う事務的な処理を目的として所謂附馬として随行したのでなく被告人と共に前記竹倉温泉若しくは玉沢温泉に到り相当額の祝儀金を得るのが主眼であり、勿論前記飲酒残代金千七百六十円の受領もバアー、ブラツクの店主に対する女給としての義理合上敢えて等閑視したのではないが喫緊の関心事は寧ろ前者にあつたものと思料されるのである。
第二、和地トシ子殺害の動機について。
凡そ債務の支払を免れる目的を以つて相手方に対しその反抗を抑圧するに足る暴行又は脅迫を加えれば強盗罪となり右暴行が殺人である場合は強盗殺人罪を以つて問擬すべきこと言を俟たないがこのような場合は右債務の支払を免れることにより債務者が利益を得んとするのが常である。蓋し債務を負担した儘で格別痛痒を感じないのにその支払を免れるため殊更重大なる刑責を負う強盗罪を犯す愚をなす者はいないからである。本件飲酒代金は合計金二千七百六十円であり決して高額ではなく、稲垣花子の司法巡査に対する供述調書と証人木村寛の供述記載に徴すると右代金中には女給である右花子が被告人から饗応を受けたカクテルとジンフイズ各一杯の勘定とトシ子が同様饗応を受けたカクテル三杯とジンフイズ一杯の勘定も含まれており、被告人一人の飲酒代金ではなく且つ被告人は所持金皆無ではなく内金千円を支払い残代金千七百六十円の担保として身分証明書その他身元を明白にする書類及び自己の写真等(昭和三十三年領第一四号の一一乃至二一)を提出したのでバアー、ブラツクの店主もこれを諒として右各物件を受領し支払を猶予し敢えて詐欺罪として警察官署に通報するようなことがなかつたことが明かである。されば右残代金債務の存在はもとより被告人の安危に係るような死活問題ではなく更に追及急なるものでもなく被告人としては後日右残代金の支払と引換に前記証明書等の返還を受ければこと足るのであり、当夜該債務の支払を免れるためトシ子を殺害せねばならぬほど窮迫した事情は全く見当らないのである。仮りにトシ子から前記残代金の請求が急であり被告人にその支払を免れんとする意図が発生したとするも現場は全く人里を離れた深山幽谷のような暗い物淋しい個所であり、時は深更に近い頃であり相手は膂力又は動作において被告人に比すべきもない女性であるから被告人は容易にその場から離脱し逃走し所期の目的を達し得るのであるから後記の如く性如何に短慮の被告人と雖もトシ子を殺害することは到底考えられないのであり、同女殺害の動機は債務の支払を免れるためと解するのは極めて不合理であり不自然である。
従つてトシ子殺害の動機は他に求むべきところ鈴木完夫作成の鑑定書によると被告人はトシ子を拳銃にて射殺する以前に手拳を振つてその顔面を乱打したことが明かであるからトシ子に対し憤激の余り激情的に暴行沙汰に出てその果てに殺害するに至つたものと思料されるのである。即ち債務を免れると謂うような功利と打算に終始する行為だとすれば一撃必殺の拳銃の如き兇器を所持している以上これを行使し相手の生命を奪えば足りるのであり、それ以前に徒らにその顔面に無用の乱打を加えて自己の報復感情を満すが如き行動に出る要がないからである。(トシ子の残代金の請求が執拗で立腹して射殺したとするもこれは債務を免れるためでなく立腹が動機の殺人である)従つて被告人は判示現場においてトシ子との間に葛藤を生じ憤怒の余拳を振つて同人の顔面を乱打しておる中愈右憤怒の念が高まり所携の拳銃で同人を射殺したものと認めても決して臆測の謗は受けないであろう。そして該葛藤の内容については情交の目的を以つて被告人がトシ子を誘い出していること、現場が人気のない寂しい個所であること等の当夜の事情から推して右現場において被告人がトシ子に情交関係を求め、同女がこれを拒絶したため被告人が憤激して口論の余同女を殺害するに至つたこと、或は温泉宿にトシ子を連れて行き相当額の祝儀と本件残代金を支払うと申向けて置きながら無人の物淋しい個所に連れ込んだためにトシ子が激しく被告人の違約を難詰した結果争論となり、被告人が激昂してトシ子を殺害するに及んだこと等が考えられ、前者の点は後記第三の如く一応あり得ることではあるが、これを肯認し得べき確証はないのである。而して後者の点については被告人は当裁判所の第七回公判期日において自白をしておるので当裁判所は本件殺人の動機はここにありと認定した次第である。尤もトシ子とのこの種の葛藤で被告人が同人を殺害するのは動機として薄弱の感があるかの如くであるが、石塚すいの司法警察員に対する昭和三十三年九月十七日付供述調書と岡本保雄の練馬警察署長宛同年九月十六日付答申書によると被告人は生来短気で意に副わぬ場合屡乱暴沙汰に出ることが知り得るのであり更に判示第三事実に現われたように大金政一から単に泥棒と連呼された丈で同人の左胸部目掛けて拳銃を発射するような危険粗暴の態度を思い合せれば前記の如き葛藤で短気粗暴の被告人がトシ子を射殺することは十分に首肯出来るのである。
以上述べたところにより被告人がトシ子を殺害するに至つたのは同人との間に上記の如き葛藤を生じ口論の末憤激したためと解するを相当とする。
第三、被告人の司法警察員及び検察官に対する和地トシ子殺害動機の供述について。
この点につき逐次被告人の供述の経過を辿つて見ると被告人は司法警察員に対し昭和三十三年九月一一日付供述調書において「自分は金を支払う意思はなく女をまいてしまおうと思い玉沢温泉の少し先に行くと女はあんた逃げるのと言うようなことを申して仲々側を離れないので脅かす積りで拳銃を女の頭の附近に向けた。そして判然しないが引金を引いたと思う」と同月十二日付供述調書においては「女があんた逃げるのと申したので撃つ気はなかつたが拳銃の引金を引いてしまい弾が出た」と同月十三日付供述調書においては「自分は女を殺すことは考えない無意識に引金を引いたのである」と同月十六日付供述調書では「女を拳銃で撃つたのは単に脅かすためであつた」と各供述し叙上各供述を通じ殺意を否認すると共に本件残代金の支払を免れる目的でトシ子を脅迫したかの如く解せらるる供述を反覆し同月二十日付供述調書においては「自動車を降りてから女をまく場所は相当あつた筈であるが、何故あのような場所迄行つたかその間の事情は判らない」と供述して現場に到る途中容易にトシ子の身辺から逃走し得る機会があつたのに何故この挙に出でなかつたかとの何人と雖も当然抱く疑問に対して説明をなし得ないのである。次に検察官に対しては同年十月三日付供述調書において「自分は女をまこうと思つたところ女はあんた逃げるのかと申し自分の進路に塞がりなかなか離れないので拳銃で脅かしてひるむ隙に逃げようと思い拳銃を女に向けると引金を引いた記憶はないが拳銃が発射された」と同月二十五日付供述調書においては「女が余り執拗に附いて来るので脅かして追払うため拳銃を取出したが自分としては引金を引いた記憶がない」とそれぞれ司法警察員に対すると同一趣旨を繰返した上、右二十五日付供述調書において「女から離れて逃げて行かなかつたが、逃げられねば腕力を振つて相手のひるむ隙に逃げ出せばたかだか詐欺か強盗位で済んだのでないかと言われても自分としては当時左様なことは考える暇もなかつた」と述べ司法警察員に供述した時と同様検察官に対しても債務を免れんとするなら逃走が極めて容易なりしに何故にその方法に出でなかつたかの自己の供述の不合理性について遂に説明に窮し該供述の破綻を暴露しておるのである。(而も以上の被告人の各供述は今迄事なく同行して来たトシ子が逃げるのかと片言隻語を発したのみで直ちに被告人に射殺されたことになつており甚だ唐突の感がある)従つて被告人の司法警察員及び検察官に対する供述は一応トシ子の本件残代金の請求を免れるため拳銃を使用したことを自認したかの如き感があるが、然らば何故容易に逃走しその目的を達成し得るに斯る手段に出でなかつたとの最も肝腎な懐疑を氷解するに至らぬものでこの点よりするも信憑力を欠くのであり、更に被告人がトシ子を殺害して迄も支払を免れんとしたとせば前記残代金千七百六十円の債務はその存在が被告人にとり死活の岐路たらずとも少くとも債務を免れんと欲する何等かの利害の関係を有するものたらざるべからざるにその消息について全く触るるところがないのであり(却つて検察官に対する前記十月三日付供述調書によると自分が内金千円を支払い定期券入れを預けるとバーテンは信用したらしくぢやいいでしようと申したと被告人が供述しておることが認められる)到底前記被告人の各供述を採用して検察官所論の強盗殺人罪の証左となし得ないのである。而して他に強盗殺人罪を認むべき証拠はないここで一考を要するのは被告人の供述態度を見ると司法警察員の取調以来終始一貫して自己の不利益な事実の供述を拒否する傾向が顕著であるのにトシ子殺害の動機については恰も前記残代金債務の支払を免れるためなりしが如き供述をしておることであり甚だ奇異の感がするが、思うにこれは右殺害の動機が実際は更に悪質であつたが何分にも右動機について全然黙秘することは却て不利な推定を受けるので右真の動機を隠蔽糊塗した上一応捜査官が納得するような残代金債務の支払を免れる旨を動機として仮装したのではなかろうか。換言すれば被告人がトシ子に対し現場において情交を挑んだが同女が拒否したため性粗暴短気な被告人は憤怒の余りトシ子の顔面を連続殴打したが、勝気な同女(証人長辺広見の供述記載参照)か愈峻拒したので憎念高うじてこれを射殺したことも当夜の状況から十分に考えられるが、被告人としては斯る事実を卒直赤裸々に開陳することは自己の刑事責任上非常なる不利益と思惟されるので強盗殺人の刑責は免れ得ないが犯情において相当軒輊ありと考えられる上記の如き債務を免れるための殺人の動機を供述したものとも思料されるのである。特に被告人が前記鑑定書に明かな顔面殴打の事実に少しも言及しないのは省みて他を言うものの疑がある。然しながらこれは臆測の域を出ずこれを証するに足る確証はないので当裁判所は被告人の利益を害しないように厳に慎み被告人の自白を信用するに足るものとして判示第二記載の如く本件殺人の動機を認定した次第である。
(法令の適用)
被告人の判示所為中、準強盗の点は刑法第二百三十八条第二百三十六条第一項に、殺人の点は同法第百九十九条に、強盗殺人未遂の点は同法第二百四十三条第二百四十条後段に、それぞれ該当するので、右殺人と強盗殺人未遂の各罪についてはいずれも所定刑中無期懲役刑を選択し、準強盗の罪は冒頭記載の(3)の前科と同法第五十六条の再犯の関係があるから同法第五十七条第十四条により再犯加重をなし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるが、殺人の罪につき被告人を無期懲役に処するが相当であるから同法第四十六条第二項により他の刑を科せないこととする、尚押収に係る拳銃チエコ製一九二七年製三二口径第三七一九一一号一挺(昭和三十三年領第一四号の一)、弾丸二個(同号の二及び三)、薬莢二個(同号の四及び六)、弾頭二個(同号の五及び七)、銃把の破片一個(同号の八)、拳銃、銃身にDEFENDERの刻印あるもの一挺(同号の九)弾丸、紙箱に入つているもの一個(同号の一〇)はいずれも本件準強盗罪の賍物であつて被害者に還付すべき理由が明白であるから刑事訴訟法第三百四十七条により被害者米国軍人オーバル・アール・ポーリツトに還付することとし訴訟費用は被告人が貧困であるから刑事訴訟法第百八十一条第一項但書により負担させないこととする。
よつて主文のとおり判決をする。
(裁判官 村岡武夫 姉川捨巳 水口豊)